桶川祇園祭
起源と概要
元文2年(1737年)、桶川宿の上中町の中山道の通りの中央に、素盞鳴尊(古事記では建速須佐之男命)一族を祭神とする市神社を「天王社」として祀った記録がある。 2011年(平成23年)から273年前の元文3年7月14日(1738年8月28日)には、家内安全を願って市神社の前に集まり、百八燈の灯籠を立てて燈を灯し、宿場内の疫病流行の退散を祈願した。 元文2年の市神社の創建から間もなく、水害厄難に襲われることが度重なり、11年後の寛延2年7月14日(1749年8月26日)、これらの被害を克服した宿の人々によって桶川宿の祇園祭が復興された。このときの祇園祭は華麗なものでこの祭りで初めて各町内の神輿が市神社前に勢揃いして、華麗で盛大な祭礼が行われた記録が残されている。 また、各町内で競って花台(=提灯等で飾り付けた屋台のことか?)を登場させるなど、桶川祇園祭は一新され一層華麗なものになっていった。 このように桶川の祇園祭は、桶川宿の中山道の中央に設置した「天王社」をお参りして「家内安全と宿場内の疫病流行の退散を祈願」して開催されたもの。以後、桶川宿の人々は、毎年7月14日、15日を(西洋暦ではないため曜日に関係なく)桶川祇園祭と定め、それぞれの町内が競って工夫を凝らして鉾山車・神輿・人形を製作して、華麗な桶川祇園祭を守り育ててきた。 2011年(平成23年)から173年前の天保9年(1838年)6月に、市神社は改築されて再建された。元々八百万の神々を信仰していた日本人はそこに少々別系統の神様達が加わっても、霊験さえあれば簡単に受け入れてきたといわれている。明治元年の神仏判然令の発布から8年後の明治9年(1876年)に、市神社は稲荷神社境内に移築され、八雲社として合祀された。この記録から推し量ると、祇園祭の開始から138年後に市神社=天王社が八雲神社に合祀されたと考えられる。 現在は祇園祭祭典委員会の主催で5つの団体が参加している。15時から22時まで宿場内(埼玉県道16 4号鴻巣桶川さいたま線の上尾市境から北に向かった2つ目の信号(特定の名称なし)から桶川市役所入口交差点まで)とその周辺を歩行者天国にして行われ、多くの露店が沿道に並ぶ。18時頃からは山車の引き回しや神輿担ぎが始まり、また来場者もこの前に急増するため夜になると祭りは盛り上がりを増す。山車のひっかせは桶川駅前交差点で行われる。 (ウィキペディアより) 注: 文字用の領域がありません!



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